深度の設計図
越冬隊五人の二百五十日と、その前後の千五百万年を、人物の線・節の構造・年表・五行の変奏・モチーフ・正しさの設計の六つに分解したものです。本文の前に置いた資料(地図・断面・人物・諸元)が読む前の道具なのに対して、こちらは読み終えた人のための図です。
人物相関
縦に読む図です。上段が地上に置いてきた人、中段が越冬隊の五人、下段が封鎖の七日目に孔へ落としたもの。五人には、玄関に貼られた五行が一行ずつ配られています。
節の構造
全十七節。人の節は掘削孔の深度で置かれ、ひとり一節ずつ深く潜っていきます。そのあいだに、深度ではなく年代で置かれた間奏が六つ差し込まれます。ページ左(狭い画面では下)の深度計は、この図の下半分をそのまま読み上げています。
年表
計画の発足から、越冬、封鎖、その後の百年まで。左が人の側で起きたこと、右が氷と地球の側で起きたこと。日付は作中の時間です。
ドームΩ計画発足。アンドレアス33歳
出発の朝、四歳のヘルガが緑色の靴下を片方だけ履いて泣くアイスレーダー測量。氷厚 3,080 m ± 40
この誤差が二十二年後に効く拓海の留守番電話、三十八秒
三日後、聞く前に指が滑って消える深層掘削開始。深度400 m
別基地でソコロフが死ぬ。「九割の医師が同様の判断」
エレナ、以後十一年、六人目の欄を書くヘルガの手紙。「女の子でした。名前はエルケ」
アンドレアスは六年開けない深度 2,860 m。推定の底まで残り約220 m
最終便が離脱し、越冬成立
玄関の五行が、その夜だけ五人ぶんに見える深度6 mの浅層コア。約二百年前の空気
二〇一二年の雪は、地表から二十センチ。毎日踏んでいた極夜開始(137日間)
父の訃報を、ハウンが自分で受信する
整理番号を振り、誰にも言わない深度3,000 m。約六十五万年前の氷
祝いのパン。燃料の二酸化炭素は、氷の中の空気の約四千倍チディ「順番が来るだけだよな」
「あんたら、ちゃんと食うんだよな」貫通。3,041 m、想定より39 m浅い
掘削液900〜1,200 Lが湖へ。最後の六メートルは三つの破片エレナ「十二時四十分に決めます。それまで、各自で」
アンドレアス、封筒を開ける。ペーパーナイフで三回目に
無記名投票。3・3・3・3・3
最初に書いたのはアンドレアス。「三十年ぶんの蓋をする」本部「なぜ報告した」
「いちばん掘りたい人間が止めないと、止まらないからです」本部が追認。熱水プラグで三十一区間を凍らせる
便箋・腕時計・日誌五冊・携帯電話・木のスプーンを孔へ
「これで俺も、お前らと同じだ」孔が消える。直径三十センチの窪みだけ
汐里「それは、忘れられることとは違う」
この物語で唯一、はっきり間違っている一文封鎖の熱水が底面の水圧を崩し、Ω湖が下流へ流れ出す
五人は知らないハウン、チディのスープで泣く
翌朝、ドアの下に汐里の紙。「窓の時刻の計算は交代でやる」日の出。地平線の上に一分三十二秒
父の名が公式記録に残り、六人目の欄に「本日、太陽を見た」六歳のエルケに祖父の手紙が届く
「いま、おじいちゃんは、氷を掘らない人です」チディの順番(飛行機があった)/アンドレアス、エレナ、汐里が死ぬ
五人とも、正しかったと信じたまま掘削液が十一の湖を順に通り、海へ出る
エルケ、跡地で排水網を掘らずに描く
条約の制限条項が削除される
根拠文献の三番目が、エルケ・ヴェルナー(二〇五六)水深四百メートルの海底。厚さ〇・二ミリの一層
五行の変奏
玄関に貼られた五行は、間奏に出るたびに少しずつ言葉を変えます。最後に一度だけ五行そろって出てくるときには、詩ではなく、否定の文になっています。
モチーフの往復
七つの小道具を「置く → 育てる → 回収する」の三段で通しています。五つは孔へ落とされ、最後はすべて同じ〇・二ミリの泥になります。
| モチーフ | 置く | 育てる | 回収する |
|---|---|---|---|
| 三十八秒 | 第三節聞かずに消した留守番電話。着信履歴だけが残る | 第八節その空気は二年で南極に降る。「毎日、踏んでいた」 | 第十三・十七節携帯電話を孔へ。「拓海」と十四年ぶりに声に出す |
| 緑色の靴下と封筒 | 第五節片方だけの靴下を三十年覚えている。封筒は六年開けない | 第十二節九時間の最後に開ける。「名前はエルケ」 | 第十四・十六節六年遅れの返事。エルケは掘らない学者になる |
| ノックする係 | 第七節他人の訃報を最初に読む役。自分には誰もノックしない | 第七節ドアの下の紙。初めてドアの側から入ってきたもの | 第十四・十五節父の名を記録に残す/チディには厨房の三人が全員ノックする |
| 六人目の欄 | 第九節毎朝、ソコロフの欄に天気を書く | 第十二・十三節「九割の側」を選ばない。十一年分の日誌を孔へ | 第十四・十五節新しいノートに「本日、太陽を見た」/名前が書けなくなっても六行の欄は正確 |
| 木のスプーン | 第十節「順番が来るだけだよな」 | 第十三節失う前に孔へ預ける。「これで俺も、お前らと同じだ」 | 第十五節二〇三三年に順番が来る。今度は飛行機があった |
| パン | 第四節七十万年前の空気の、約四千倍の二酸化炭素 | 第十・十三節三千メートルの祝い/封鎖四日目の朝、黙って置かれた一つ | 第十四・十五節日の出のパンケーキ。アンドレアスが孫に焼き方を話す |
| 「忘れられることとは違う」 | 第十三節封鎖を終えた汐里が思う | 第十三節語り手が「唯一、はっきり間違っている」と注記する | 第十七節「違わなかった。まったく同じことだった」 |
正しさの設計
ほかの三作が悲しみ・不安・間に合わなさで組んであるのに対して、本作は「正しい判断が、何も守らない」で組んでいます。段階を五つに切り、四段目で一度救いを渡してから、五段目で救いを取り消さずに意味だけを無にしました。
| 段 | 読者が思うこと | そのために置いた事実 | 手当て |
|---|---|---|---|
| 一 | 誰かのミスだろう | 第十一節想定より39 m浅い貫通。±40 mの誤差の下側 | 「誰の責任でもない」。ちょうど半分の確率で起きることとして、過失を誰にも負わせない |
| 二 | 隠せば済む | 第十二節汐里が本気で検討する。エレナの言う「九割の側」 | 隠す選択肢を、悪人ではなく善良な人物に、九時間ひとりで考えさせる |
| 三 | 正しい選択をした | 第十三節3・3・3・3・3。「いちばん掘りたい人間が止めないと、止まらない」 | 人間にできる最良の選び方として描き切り、三十年と予算と論文を全部払わせる |
| 四 | 報われた | 第十四節日の出の一分三十二秒/六年遅れの返事/記録に残る父の名 | 救いを一度きちんと渡してから、「それが、この物語でいちばん残酷な事実である」で閉じる |
| 五 | —— | 第十六・十七節封鎖の熱水が排水を始めていた/二一一三年の規制削除/〇・二ミリの層 | 正しい行為そのものが汚染を運んだ。五人の救いは取り消さず、地質の時間で意味だけを消す |
意図的に守った線が五つあります。登場人物を道徳的に失敗させない(悲劇は、正しい行為の意図しない帰結からだけ来る)。/超常を起こさない(基地と湖は架空だが、氷床コア・孔内液・底面湖の連結は実在の科学に基づく)。/湖の中身を確定させない(「影響がなかったのではない。測る方法がなかった」)。/五人に真相を知らせない(「知らずに済んだという点においてのみ、幸運だった」)。/詩を救いの言葉で終わらせない(最終節で五行は文として否定される)。
「誰もいない白銀の大地/すべてが凍てつく空気/沈まない太陽/または/開けない夜」──「白銀の大地は、もうない。/凍てつく空気も、もうない。/沈まない太陽は、まだある。/または。/——分岐は、とうに閉じた。」